東北新幹線運休で本領を発揮した快速列車たち 鉄道の“責任”と“誇り”が見える

2月13日午後11時7分頃、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が発生した。その影響で東北新幹線は架線柱や高架橋に破損が多数発見され、那須塩原駅~盛岡駅で運休した。当初は2日間で復旧と予想されたけれども、その後の点検で、一ノ関~盛岡間は被害が軽く16日に復旧。那須塩原駅~一ノ関間は予想より大きな被害が確認され、復旧まで10日を要すると発表された。

那須塩原駅~一ノ関間には福島、仙台がある。東京~福島、東京~仙台間は東北新幹線の中でも需要が高い。COVID-19による移動自粛で需要が低い時期だけれども、移動が必要な人はいる。そこでJR東日本はすぐに代替手段を準備した。

ナゾの「185系臨時快速」
2月14日、在来線の東北本線では、上野~那須塩原間で臨時快速列車を走らせた。上野発午前11時ちょうど、大宮、小山、宇都宮に停車し、那須塩原着は午後1時2分。折り返して那須塩原発午後1時20分、宇都宮、小山、大宮に停まって、上野着は午後3時18分。所要時間は東北新幹線の約1時間に対して2倍かかった。

この区間は東北新幹線の運休区間ではない。そのため、登場した理由が不明だった。東京~西那須野間は東北新幹線の中でも通勤需要があるため、朝夕に各駅タイプの「なすの」が走る。日中も1時間ごとに運行している。2月14日は日曜日だったから、通勤利用者向けの救済手段とは考えにくい。JR東日本から事前告知がなかったため、下り列車については新幹線に乗ろうと駅に来てから案内された人が多かっただろう。考えられる理由として、ネットでは、仙台の車両基地から東京へ向かう列車が動かないため、折り返しの「なすの」に充当する車両が足りなくなったからではないか、という推測もあった。

理由を推測すると、那須塩原付近で週末を過ごし、日曜に東京へ帰って月曜から仕事をする人々への配慮かもしれない。JR東日本グループのジェイアール関東バスと那須塩原市は包括連携協定を結んでおり、その範囲は定住促進のための交通、観光、災害輸送に及ぶ。バス路線の東京~那須塩原便は関東自動車との共同運行で、関東自動車5往復、ジェイアール関東バスが2往復ある。しかし緊急事態宣言などを踏まえて7往復全て運休中だ。そこに新幹線のダイヤも乱れたとなれば、在来線で救済すべきだという判断もあったかもしれない。バレンタインに約束をした恋人同士のためだったらロマンチックで粋な配慮だ。

【訂正:2021年2月19日14時30分 初出でバス運行会社名が誤っておりました。関東自動車と訂正しました。】

しかし実際は運行を聞きつけた鉄道ファンが集まった。使用した車両が3月に引退する185系で、在来線をかつての特急のようなダイヤで走ったこと、しかも特急料金不要の快速列車だ。イベント列車のようにも見える。そのため車掌から「鉄道ファンの方は他のお客さまに配慮を」というアナウンスも流れた。ネットでは批判も多かったけど、ファンが乗りたくなる気持ちは分かる。私もこの時仙台にいたら、この電車で帰ったと思う。せっかく走らせてガラガラだったら運行に関わった人も寂しいだろう。

感動を与えた「ムーンライトひたち」
2月15日から常磐線で特急「ひたち」の延長運行が始まった。常磐線は日暮里~岩沼間を太平洋岸沿いに結ぶ路線だ。岩沼駅は仙台駅の少し南側にある。「ひたち」のほとんどの列車は品川・上野~いわき間だけど、3往復だけ仙台駅まで運行する。その列車に加えて、15日は下り2本、上り1本について、いわき~仙台間を延長し、快速列車扱いとして利用者の負担を軽くした。新幹線に比べて時間がかかることに対する配慮だろうか。

ところが運が悪いことに、この日は日本列島を低気圧が縦断した。北関東は午後から大雨となり、常磐線の一部区間では規制値に達し、速度規制や運転見合わせの見込みとなった。仙台発午後1時57分発の「ひたち22号」も運休が検討された。しかし、報道によれば「乗客からの強い要望」「東北新幹線の不通」を考慮して、出発の遅れと東京着が翌朝になることを承知の上で運行開始。4時間遅れの午後5時55分に発車した。

上野着は16日午前2時38分だった。その時間に連絡する交通手段はないため、始発電車が出る午前4時45分まで車内での滞在が許された。仙台発車時点では乾パンと水が配られ、途中駅でもパンと水とマスクが配布された。上野駅ではおにぎりとお茶が配られた。乗客は約200人。窮屈な時間だったと思われるけれど、JR東日本としては異例の手厚い対応だった。

車内では乗務員が巡回し、受験生の有無を確認した。到着後の接続を確認するためだ。朝日新聞によると、受験生だという申告はなかったという。しかし、その問いかけが「ひたち22号」を走らせた理由として広まった。「受験生がいるかもしれない」「もしいたらどうする」という配慮があった。

鉄道は「責任」「誇り」「奉仕」の精神で走っている
受験生への配慮という点では、今年1月上旬の豪雪と鉄道事業者の闘いも記憶に新しい。特に、えちごトキめき鉄道では社長のブログで除雪対応の様子が毎日報告されていた。雪が降れば運休となり、復旧のために除雪を急ぐ必要がある。その努力は1月16日の昼のNHKニュースで報われた。沿線で行われた共通テストの受験生が「電車が動いて試験に間に合って良かった」と笑顔を見せてくれた。試験の結果は分からないけれども、豪雪地域の鉄道員たちが、何を思って雪と戦っていたか。その真意が伝わって胸が熱くなった。

「国鉄は鉄道マンの“責任”が動かしていたんです」。漫画家の池田邦彦さんの言葉だ。池田さんは、日本の鉄道創世記を鉄道技術者の視点で描いた『エンジニール~鉄道に挑んだ男たち~』や、国鉄時代の鉄道員の仕事や乗客とのふれあいを描いた『カレチ』などの作品を描いた。『エンジニール~鉄道に挑んだ男たち~』の単行本発売イベントをお手伝いしたとき、池田さんとお話しする機会があって「責任が動かす」という話になった。

「おカネを稼ぐ」も大事。「お客さまに喜ばれる」も大事。しかし、池田氏が描いた国鉄時代は、国内の膨大な輸送需要のほとんどを国鉄が背負っていた。目の前のお客さまを列車に乗せる。駅に積み上げられた貨物を貨車に積んで機関車につなぐ。目の前に仕事が山積みで、それを規則通りに黙々と処理する日々だった。

栓を開ければ水が出ることと同じくらいに、鉄道は動いていることが当たり前で、それは鉄道職員も、乗客も、荷主も同じ思いだった。だから運休なんてとんでもない話だ。どんな雨風でも列車は走った。そこには「運ぶ責任」が最上位にあった。

しかし、この責任はしばしば暴走した。強風にもかかわらず列車を走らせて橋から列車が転落したり、風に煽られて脱線したり。ささいな故障や傷みを見過ごして大事故に至った事例も多い。「走らせなくてはいけない」という強い責任感が裏目に出た。そこで、鉄道は安全最優先に舵を切った。それは間違っていない。

東日本大震災から10年、また「責任感」を見せてくれた
しかし、安全を重視するあまり、「羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)」という場面もあるような気がしてならない。悪天候になりそうだからと早々に運休を決めてしまったばかりに、天気予報が外れても正常運行に復旧できないという事例をいくつか思い出せる。結果的に人命は奪われなかったけれど、列車が停まってしまったばかりに、個々の乗客や荷主にとって大切なものが失われてしまったかもしれない。

東日本大震災の時は、厳冬の東北地域に向けて、横浜・磯子から磐越西線、羽越本線経由で石油輸送列車が走った。その姿を見て「鉄道の頼もしさ」を感じた人も多かったと思う。あれから10年。JR東日本はまた「責任感」を見せてくれた。

私が池田氏の「責任が走らせる」という言葉に共感した理由は、自分自身の営業マン時代の働き方に通じるからだ。仕事に「責任」を持つこと。その上でお客さまに「奉仕」すること。その結果に「誇り」を持つこと。給料や出世のためではなかった。それは責任と奉仕と誇りを持って働いていれば、後から必ずついてくる。

逆に言うと、そこに報いがなければ働く意味がない。その環境作りが経営者の役目だろうと思う。JR東日本は現場の責任感と奉仕の心とプライドを持った人が働いている。その現場の判断を上層部がきちんと受け止めて報いてくれるだろう。鉄道に限らず、多くの企業がそうあってほしい。

(杉山淳一)

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