【東日本大震災10年語り継ぐ】陸前高田出身・村上弘明つなぐ「命てんでんこ」叔父夫婦犠牲「復興の力になりたい」

岩手県陸前高田市出身の俳優・村上弘明(64)は津波で叔父夫婦と親戚1人を失った。2週間後、故郷に帰り、変わり果てた姿に茫然(ぼうぜん)と立ち尽くした。「復興の力になりたい」と避難所訪問や募金活動を行い、2014年からは「いわて☆はまらいん特使」として岩手県の魅力を全国に発信。方言で「自分の命は自分で守れ」という意味の「命てんでんこ」という言葉など「防災文化も伝えていきたい。それが自分の役割」と心に刻んでいる。
大津波が風光明媚(めいび)な港町を襲った。住宅や自動車が一瞬にして濁流にのみ込まれ、ニュースキャスターは「陸前高田市が壊滅状態です」と上ずった口調でアナウンスしていた。「そんなはずはない。市内には高台や山もある。絶対に信じられない」という思いでテレビにくぎ付けになった。
陸前高田市には8つの町がある。自転車店とワカメの養殖を行っていた村上の実家は、市内で最も被害の大きかった高田町から15キロほど離れた広田町。「先祖代々、漁師が多い地域。だから過去の津波について伝承されていて、古くからの住宅は高台にある。低い土地にあるのは倉庫か作業場。うちも防波堤から坂を登った上にある」。それでも1階の6割くらいまで浸水。避難所に身を寄せた両親とは3日間、音信不通だった。
震災から4日目、妹へ母親から電話があり、無事を確認。しかし、5日目に叔父夫婦が犠牲になったことを知らされ、「心がずしーんと沈みました」。

東北自動車道が復旧した震災2週間後、ワンボックスカーに食料、衣類を詰め込んで2日がかりで故郷に向かった。「がれきと化した街並みを見てガツンと後頭部を殴られたような衝撃を受けた。思考停止して動けなかった」。その光景は今でも脳裏に焼き付いている。
毎年、IBC岩手放送の「ラジオ・チャリティ・ミュージックソン」の企画で県内20か所以上を巡っている。震災から5年後、陸前高田市の災害公営住宅で出会った高齢女性の言葉が忘れられない。「あそこの山、下の方だけ葉っぱが茶色くなっているでしょ。私、あそこまで流されたの。無我夢中で木にしがみついて助かったの。避難所で毎晩、悪夢にうなされて、5年たって初めて話せるようになった」と言われ、津波の恐ろしさを再認識した。
「沿岸部では学校で防災の取り組みを教えることが必要だと思う。『命てんでんこ』という言葉があるように家族が逃げ遅れても、振り返らずに一人でも逃げなさいということ。まずは生きること。すばらしい海の幸がある反面、いつ自然の脅威にさらされるか分からない。それを語り継ぐことで、未来につながる」
自宅が浸水し、両親は妹が住む静岡県に転居したが、10年間の復興を見守り、故郷への愛着も一層強くなった。今後も被災地に防災の意識を呼び掛ける一方、全国へ岩手の魅力を発信していく。(有野 博幸)
◆村上 弘明(むらかみ・ひろあき)1956年12月22日、岩手県生まれ。64歳。法大在学中の79年、映画「もう頬づえはつかない」のオーディションをきっかけに芸能界入り。同年、ドラマ「仮面ライダー スカイライダー」で本格デビュー。時代劇や刑事ドラマなど幅広く活躍し、87年公開の映画「極道の妻たち2」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞。90年に結婚した元モデルの都夫人との間に2男2女。身長185センチ。血液型A。
◆陸前高田市の被災状況 地震の推定震度は6弱。市が2014年7月にまとめた資料によると、地震により全8069世帯のうち3967世帯(49・1%)が被災。津波で4063世帯(50・4%)が被災。地震と津波により、市内の99・5%の世帯が被害を受けた。死亡者は人口2万4246人に対し、1757人(行方不明者含む)。高田町が最も多く1173人で広田町は59人だった。約7万本と言われる高田松原はほぼ全てが流され、その中で唯一残ったのが「奇跡の一本松」として注目された。

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