「記憶の1コマ、今も」=最後の手紙、託された記者―三島由紀夫没後50年

作家の三島由紀夫が陸上自衛隊の市ケ谷駐屯地で割腹自殺してから、25日で50年を迎える。「今でも記憶の1コマ1コマがふとよみがえる」。自決前に手紙を託され、最後の演説を間近で目撃した「サンデー毎日」元記者の徳岡孝夫さん(90)は「愉快に、豪快に笑う人だった」と3年半の交友の日々を振り返った。
「静聴せい」「男一匹が命を賭けて諸君に訴えているんだぞ」。1970年11月25日、徳岡さんは同駐屯地のバルコニーの下で、憲法改正などを訴える三島の言葉をメモ帳に書き留めていた。集まった自衛隊員はやじを飛ばし、上空ではヘリコプターが飛んでいたが、声ははっきり聞き取れた。
この日、三島にあらかじめ呼び出され、訴えを記した檄文(げきぶん)と手紙を受け取っていた。「檄は何とぞ何とぞ、ノーカットでご発表いただきたく」とあった。「現場で何が起きるかは分からず、失敗も想定し記者に託したのだろう」と徳岡さんは推し量る。
三島はバルコニーでの熱弁の後、自決を遂げた。「まさか切腹するとは思わなかった。(憲法改正は)彼にとってそれほど重たいことだったのかと思うと痛々しい気持ちが迫ってくる」。50年を経た今もあの日を思う。
インタビューをきっかけに、三島と3年半の親交を持った。大阪弁で問い掛ける徳岡さんを面白く思ったのか、「その大阪弁、忘れちゃダメだ」と破顔したのが印象に残る。
忘れられない場面がある。徳岡さんが特派員としてバンコクに赴任中、小説執筆の取材で滞在していた三島に平安時代の歌詩集「和漢朗詠集」を貸した。三島はバンコクを立つ際、「楽しませてもらいました」とにっこり笑い、本を返した。
自決後、刊行が予定されていた小説「豊饒(ほうじょう)の海」の最終巻が「天人五衰」と知り、徳岡さんは本棚に眠っていた朗詠集を慌てて取り出した。三島が開いたであろう癖の付いたページがあり、題名の元になった一節が記されていた。「一生を閉じる作品の題が決まったという笑顔だったのでは」。あの笑みを今も記憶の中で反すうしている。
三島とは取材相手として、一人の友人として共に語り合った。「三島さんとの縁は一つの偶然ではあるけれど、面白い偶然でしたね」。徳岡さんは懐かしそうに振り返った。

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