「オレは絶対に悪くない!」という“他責おじさん”が、なぜ出世するのか

「ウチの会社にもこんなおじさんいるよ、何があっても絶対に自分の過ちを認めないんだよな」――。

先週、みなさんの周りでもこんな怒りの声が飛び交ったのではないだろうか。「こんなおじさん」とは、トヨタのプリウスで横断歩道を渡っている人たちを次々とはねて、母親と3歳の娘の命を奪った旧通産省のキャリア官僚である飯塚幸三被告のことである。

ご存じのように、この痛ましい暴走事故は、捜査段階でクルマの制御システムに異常を示す記録はなく、むしろアクセルをずっと踏み込んでいたデータが残っていると報じられ、飯塚被告本人もその可能性を否定しなかった。しかし、10月8日に開かれた初公判でそれをちゃぶ台返しして、「クルマに何らかの異常が生じたために暴走した」と無罪を主張したことで、日本中の怒りが爆発している状態なのだ。

日本の産業技術の向上を目指していた工業技術院の院長まで務めた人物が、なぜこの期に及んでトヨタに責任をなすりつけようと考えたのかという理由は、ぜひ知りたいところなので、裁判の行方を見守っていきたいと思うが、その一方で個人的に関心があるのは、飯塚被告のこの「他責性」と、官僚としてのキャリアの成功に何かしらの関係があるのではないか、と考える人たちが少なからずいることだ。

例えば、脳科学者の中野信子氏は「ワイドスクランブル」(テレビ朝日)に出演して、「言葉はすごく飯塚被告、丁寧なんですけれど、残念に思うのはすごく他責的に聞こえる」と指摘し、続けてこんなことをおっしゃっている。

「責任をこうやって他の人に求める姿勢が出世することに重要だったのかな? って考えてしまうんです」

これはまったく同感だ。飯塚被告に限らず、日本社会の責任ある立場の方たちを見渡してみれば、何かあるとすぐに責任を自分ではなく他人に求める「他責おじさん」が明らかに多いからだ。

責任感や几帳面さは、昇進にマイナス
福島第一原発事故を起こした東京電力でも、福知山線脱線事故を起こしたJR西日本でも、責任を問われた経営陣は「無罪」を主張している。「チャレンジ」という言葉で現場に過度なプレッシャーを与えて不正会計を招いた東芝の経営陣も自分たちの非を認めていない。

官僚組織でも同様だ。自身の国会答弁がきっかけで、近畿財務局の職員が自殺に追い込まれた佐川宣寿氏も最後までその死の責任をぼやかしたまま4500万円近い退職金をもらって退官した。特ダネをチラつかせて女性記者を深夜に呼び出してセクハラした事務次官も、貧困調査のためというわけの分からない理由で「出会いバー」に通っていた事務次官も、マスコミが悪い、安倍政権が悪い、とよそに責任をなすりつけて、頭を下げることなく逃げ切った。

これは偶然そうなっているわけではない。実は昭和の日本型組織では、責任をこうやって他人に求めるような人ほど出世しやすかった、ということは研究で明らかになっているからだ。

飯塚被告が工業技術院の院長になる2年前の1984年、経営学者の清水龍瑩(りゅうえい)氏は「わが国大企業の中間管理者とその昇進」という研究で、大企業の社員を対象にして何が出世を決めているのかという要因を調査した。その中では「学歴」「交渉力」「忠誠心」などだいたい想像がつく言葉とともに、シビアな現実が浮かび上がった。

「責任感や几帳面さは、昇進にマイナスに作用」

それは裏を返せば「今回のミスの責任を取れ!」と周囲から詰めよられても、「いやいや、悪いのは私じゃなくて、私の命令にちゃんと従わなかった部下ですよ」なんて感じで、罪悪感なく責任逃れができる「他責おじさん」ほど、サラリーマンピラミッドを駆け上がっていけるということでもあるのだ。

「他責おじさん」は世に溢れている
もちろん、こういう類の話は、海外の心理学の研究などもでもよく聞く話だ。例えば、ウォールストリートジャーナル(2014年7月10日)によれば、出世をする人は、自分勝手な利益のために他人に影響を及ぼそうする傾向や、他者への共感や気配りが欠如した反社会的人格など、心理学者が「暗黒の3要素」と呼ぶ人格的特質を「適度」に持っていることが多いことがさまざまな研究で分かっているという。確かに「他人に優しく、思いやりのある善人」が、組織内での厳しい足の引っ張り合いに勝ち残れないのは、多くのサラリーマンが納得することだろう。

そんな「性格の悪い人間ほど出世しやすい」という現代社会のある意味で普遍的な現象の中で、日本社会の場合は「他人に責任を押しつける」というスキルが特に求められていることなのではないか。

実際、それがうかがえる調査がある。2019年6月に「エン転職」を運営するエン・ジャパンがユーザー1万1286人を対象に調査したところ、85%が「困った上司のもとで働いたことがある」と回答した。では、その上司の特徴はどんなものだったかというと、「人によって態度を変える」(66%)、「いざというときに部下を守らない」(58%)、「指示・指導が曖昧」(55%)。つまり、上役の顔色をうかがいながら自分に責任が追及されないよう、部下などに責任を押しつける、という典型的な「他責おじさん」なのだ。

1万人に尋ねてみただけで、これだけ報告されていることは、実はわれわれが想像している以上に「他責おじさん」は世に溢れているということだ。彼らは周囲に「あの人、謝ったら負けだと思ってんのかね」なんてあきれられながらも、クビになることなく、左遷されることもなく、今日も元気に誰かに責任をなすりつけている。つまり、実は日本社会というのは「他責おじさん」たちによって成り立っているのだ。

そこで皆さんが疑問に思うのは、なぜ日本ではこんな風に「他責おじさん」たちが幅をきかせる「他責のパラダイス」になってしまったのかということだ。いろいろな考えがあると思うが、筆者は、戦後の焼け野原から日本を復興させたのが、外でもない「他責おじさん」たちであったことが大きいとみている。

大企業が受け継いでしまった「負の遺産」
近代史をはしょる学校教育や偏ったマスコミ報道のせいで、日本では戦争に負けた日を境に、社会や国民の意識がガラリと変わったように勘違いをしている人が多いが、実際は戦時中の体制をそのまま引きずっていた。総理大臣を務めた吉田茂や佐藤栄作を見れば分かるように、政治家も官僚も基本的に、戦前戦中のエリートが「続投」した。

民間企業も同様で、伊藤忠商事で会長を務めた瀬島龍三氏のような旧日本軍のエリートたちが続々と大企業に入社し、軍隊時代の上下関係やネットワークを駆使して日本経済のかじ取りをしていく。世代的にも当たり前の話だが、戦後の日本企業の成長を支えてきた人々の中に、かなりの割合で旧日本軍OBたちが含まれていたのは、動かし難い事実である。だから、電通や東芝など戦前から続く名門企業になればなるほど、前近代的な「しごき」や上司の命令には絶対服従という軍隊的カルチャーがいまだに尾を引いているのだ。

そんな旧日本軍から戦後の役所や大企業が受け継いでしまった「負の遺産」のひとつが、実は「他責おじさん」である。胸がスカッとする愛国エピソードばかり耳にしている人たちからすれば、なかなか受け入れ難いと思うが、実は旧日本軍は「他責おじさん」たちの巣窟だった。

戦争中は、「男らしく死んでこい!」と部下に自分の現場判断で玉砕を命じたような指揮官が、戦争が終わった途端に人がコロッと変わり、「戦争が悪い」「軍に逆らえなかった」と被害者のようなことを言い出す人が山ほどいたのだ。軍幹部から現場の指揮官まで「オレは悪くない」の大合唱によって、無謀な作戦や、無意味な玉砕や自決について誰も責任を取らずにうやむやにされた。日本軍という組織全体が「他責」に走ったのである。

何か問題が起きれば、また誰かのせいに
そのあたりの異常さを内部で目の当たりにしたのが、下級将校としてフィリピンで終戦を迎えた評論家の山本七平氏だ。山本氏は戦後、米軍の捕虜収容所にとらわれたのだが、そこでひょんなことから、自分たちのことを互いに「閣下」と呼び合うような上級士官たちが収容されている将官収容所に軽作業のために通うことになる。

終戦の10カ月前に少尉になった山本氏からすれば「閣下」はみな雲上人(うんじょうびと)だ。しかも、彼らの理不尽な命令で玉砕や、自決を命じられた戦友もたくさんいる。いったいどういう思いで「閣下」と顔を合わせればいいのかと複雑な思いを抱きながら、将官収容所に行った山本氏は呆気にとられる。思いのほか、閣下たちが明るく、山本氏にもフレンドリーで、「奇妙に和気藹々(わきあいあい)」としていたからだ。

戦争に敗れて悔しがっているわけではなく、多くの部下を失ったことで血の涙を流しているわけでもない。中には「やれやれ、山本さんよ、日本が徹底的に負けてよかったな」なんて軽口を叩く「閣下」もいた。山本氏は以下のような戸惑いを記している。

『なぜあの人たちが指揮官でありえたのだろう。なぜあの人たちの命令で人びとが死に得たのであろう。(中略)では何かの責任者だったのか、それならば最低限でも「部下の血」に対する懊悩から、こちらが顔をそむけたくなるような苦悩があるはずだ。(中略)そういう苦悩があるとさえ感じられない。一体この人たちは何なのだろう。まるで解放されたかのように、この現在を享受しているかのように見えるこの人たち』(一下級将校の見た帝国陸軍/文春文庫)

山本氏が違和感を覚えた旧日本軍の「他責おじさん」の中には戦犯として裁かれる人もいたが、その多くは先ほども述べたように日本へ戻って役所や企業に入り込んでいく。そして、軍隊時代と同じく、何か問題が起きれば、また誰かのせいにしてひょうひょうと生きてきた。

トントン拍子で出世した「他責おじさん」
1953年に東大を卒業して、通産省工業技術院に入った飯塚被告の上司や先輩には、このような「戦争帰りの他責おじさん」がたくさんいたのである。彼らに師事し、彼らの人事評価を受けて出世した飯塚被告が「他責おじさん」になっていくのは当然なのだ。

なんでもかんでも旧日本軍に結びつけるなという批判もあろうが、世界的に見ても、軍隊組織は「他責おじさん」の“生産地”になりやすい。組織の命令に従うことが正義なので「オレは悪くない」という考えに陥りやすいからだ。その分かりやすいケースが、世界で最も有名で、最も悪名高い「他責おじさん」である、ナチス親衛隊国家保安本部のユダヤ人課課長だったアドルフ・アイヒマンだ。

戦後、ユダヤ人の強制収容や大量虐殺の指揮的な役割を果たしたと裁判にかけられたアイヒマンは、自分はあくまで命令に従っただけで、自分の手でユダヤ人を1人も殺してないと釈明し、悪いのは命令を下したナチスであって、自身については「無罪」を主張した。彼も飯塚被告と同じく、こうやって責任を誰かに押しつけることで、組織の中でトントン拍子で出世をした「他責おじさん」だったのだ。

ナチスに象徴されるファシズムを研究していた若き日のP・F・ドラッカーは、組織がファシズムに陥らないためには、外の世界から情報を得て学習をすること、つまりフィードバックが必要だという結論に至った。ナチスがフィードバックなき組織であることに異論を挟む者はいないだろうが、言われてみればわれらが旧日本軍もフィードバックができていたとは言い難い。参謀本部の暴走を、外部から評価・監査できていなかったのは明らかだ。

「ウチの上司、絶対に自分の間違いを認めないんだよ」なんて愚痴をこぼしているあなたの会社、実は古い昭和のノリや、ワンマン社長などの影響で、「フィードバックのない組織」なのかもしれない。そのような意味で「他責おじさん」というのは、実はその組織がいかにヤバいのかを教えてくれるバロメーターなのではないか。

(窪田順生)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする