伝統窯の火、絶やさず=原発避難先で再開―浪江の陶芸家「必ず帰る」

福島県浪江町で300年以上続く伝統工芸品、大堀相馬焼の窯元「春山窯」の13代目小野田利治さん(58)は、東京電力福島第1原発事故の避難先で窯を再開した。伝統を継承し多くの人に作品を知ってもらおうと、陶芸教室などで活動を続けている。
大堀相馬焼は、細かいひびで覆われた青磁で、相馬藩のシンボルである「走り馬」の模様と、熱いお茶を注いでも持てる「二重焼き」の構造が特長。小野田さんは20歳から家業の焼き物作りを始め、大堀相馬焼協同組合の理事長を務める。
地震発生時は重さ2トン以上の窯が揺れ、工房を飛び出すと店舗にあった200点以上の作品が棚から落ちて割れていた。翌日から家族と共に避難生活が始まり、5~6カ所の避難所を転々とした。窯元の多くがあった大堀地区は帰還困難区域に設定され、現在も立ち入りが制限されている。
焼き物作りを再開したい思いは切実だったが、設備も場所もなく、なかなか踏み出せずにいた。しかし、「原発事故に負けて伝統を途絶えさせるわけにはいかない」と奮起。陶芸教室の教え子の後押しもあり、2012年7月、同県いわき市で仮設工房を立ち上げた。小野田さんは「土地の紹介も、備品を集めてくれたのも生徒。津波で家を流された人もいたのに感謝しかない」と振り返る。
難点は、うわぐすりの原料となる「砥山石」が採取できる大堀地区に立ち入れないことだった。しかし、独力で調合を重ねて作った「青マット釉(ゆう)」で、濃淡のある深い青みが美しい独特の作品を生み出した。「色の付き具合は窯の中の風の強さでも変わり、繊細で難しいが楽しくもある」と魅力を語る。
17年に拠点を同県本宮市に移し、現在は月に約100人が教室に参加している。浪江町出身の大浦二三雄さん(65)は「浪江を離れても伝統文化に関わることができてうれしい」と話す。震災前は23軒あった窯元のうち、避難先で再開したのは10軒。小野田さんは、将来は浪江に帰り、伝統を受け継ぐ地で作ると心に決めている。「まずは現在の拠点で地盤を堅め、自分に自信をつけたい」笑顔を見せた。

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