李登輝氏死去、国内でも追悼=「もっと話聞きたかった」―岡山など

「残念だ」「もっと話を聞きたかった」。30日に死去した台湾の李登輝元総統は親日家として知られ、たびたび日本を訪れた。親交のあった国内の関係者からは31日、悼む声が聞かれた。
李氏は2001年に初めて来日し、岡山県倉敷市の病院で心臓病の治療を受けた。民間交流団体「日本李登輝友の会」岡山県支部長の藤原一雅さん(73)=岡山市=は「覚悟はしていたが残念だ。新型コロナウイルスがなければ葬儀に参加したかった」と悔やんだ。
10年以上の親交がある藤原さんは、毎年のように会員らを連れ、台湾の李氏を訪れた。18年7月には、西日本豪雨からの復興を祈る直筆のメッセージを渡されたという。日本統治下の台湾を知る李氏を「日本人以上に日本人だった」と評した。
「日本台湾平和基金会」の西田健次郎理事長(76)=沖縄県沖縄市=も二十数年の親交があった。台湾出身戦没者の慰霊塔を建立した際、李氏は石碑に刻む言葉の揮毫(きごう)の依頼に快く応じてくれたと振り返る。
李氏は18年6月、体調が優れない中、周囲の制止を押し切って沖縄を訪れ、石碑の除幕式に出席。西田さんは「明瞭な日本語であいさつし、りんとした姿が印象的だった。もっと話を聞きたかった」と惜しんだ。
李氏が学んだ京都帝国大(現京都大)の恩師、柏祐賢氏(故人)の次男久さん(73)=京都市左京区=も「非常に残念。もっと生きてほしかった」と悼む。04年の訪日では柏氏と61年ぶりに再会し、肩を寄せ合い思い出を語り合った。柏氏が亡くなった時、「私は永遠に柏先生の学生です」と弔辞を寄せたという。

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