横田めぐみさん 拉致から45年 救出訴え続ける家族「どんどん月日だけが…」【新潟】

当時13歳だった横田めぐみさんが下校途中に北朝鮮により拉致されてから11月15日で45年が経ちました。無事を信じ、活動を続けてきた家族にも、めぐみさんのいない45年という歳月が流れています。

【めぐみさんの母 横田早紀江さん】
「表現のしようがないほどのむなしさ。むなしい」

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて45年となる心境をこう語ったのは、母・早紀江さんです。

【めぐみさんの母 横田早紀江さん】
「大事なものが煙のように、近くで消えてしまったままで…」

1977年11月15日、新潟市で当時13歳の横田めぐみさんが中学校からの下校途中に行方不明になりました。手がかりが何もない中、行方不明になってから20年後に報じられたのが北朝鮮による拉致の可能性でした。

【めぐみさんの父 横田滋さん(1997年)】
「もし、これが今回報道されたように、拉致ということであったら、今までの目撃者がない、遺留品とか書き置きとかが全くないことも納得いく」

めぐみさんの父・滋さんは娘を取り戻すという強い思いで拉致被害者家族連絡会の代表に就任。政府がめぐみさんを含む10人を北朝鮮による拉致被害者と認定すると、滋さんは“世論の力”を信じ、全国で救出を訴える活動を行います。

【めぐみさんの父 横田滋さん】
「拉致問題の解決は、結局政府に頼るしかない。我々を励ましてくださっている方の力が世論ということで、政府・議員を動かす」

その訴えが届き、2002年には初めての日朝首脳会談が実現。期待を胸に見守っていた滋さんたちでしたが…

【当時の報道(2002年)】
「亡くなったことが分かったのは、横田めぐみさん」

【めぐみさんの父 横田滋さん(2002年)】
「いい結果が出るということを楽しみにしておりました。しかし、結果は死亡という残念なものでした」

【めぐみさんの母 横田早紀江さん(2002年)】
「まだ、生きていることを信じ続けて、戦って参ります」

会談後、拉致被害者5人の帰国が実現しても、滋さんのカメラを向ける先に娘の姿はありませんでした。一方、北朝鮮が”死亡した証拠”として提出しためぐみさんの遺骨は、ねつ造されたものと発覚。

【めぐみさんの父 横田滋さん(2004年)】
「必ず生存しているものと信じて、これからも運動を続けていく覚悟」

北朝鮮に翻弄されながらも、めぐみさんの帰国を諦めなかった家族。しかし、年を重ねるごとに滋さんと早紀江さんの体力は奪われていきます。

【めぐみさんの父 横田滋さん】
「めぐみちゃん、帰ってくるのを楽しみにしていたんですけど、早くそれが来ることを望まれます」

そして、おととし6月、娘との再開を果たせぬまま、滋さんは亡くなりました。

【めぐみさんの母 横田早紀江さん(2020年)】
「最後に主人に話したときに、『これからも絶対に頑張るからね、大丈夫だから』と言いましたし、『何年経っても、時間が経っても必ず取り戻す』と」

こうした中、めぐみさんの弟・拓也さんと哲也さんが活動の前線に立つ機会は増加。世代が変わろうとしても、なお問題が解決されない現状が浮き彫りとなっています。

【めぐみさんの母 横田早紀江さん】
「どんどん月日だけが経って、何も分からない、相変わらず声も聞こえない。めぐみに対しては『とにかく病気にならないでください』と。『元気でいれば必ず道が開けるから』と、いつも思っている」

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