統一教会の改革本部長・勅使河原秀行氏が抱き続けた元恋人への愛…ラブレター公開、破談後も結婚指輪を着用

「宗教に対する献金は尊いものであり、聖なるもの。犯罪組織が騙し取っているような表現は正直腹立たしい」
9月22日、こう語ったのは統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)の勅使河原秀行氏。
安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件以降、信者による多額の献金や政治家との繋がりから連日、批判を浴びる統一教会。そこで教会はメディアに向けて改革案を文書で発表し、22日に新設された「教会改革推進本部」の本部長である勅使河原秀行氏が弁護士とともに会見を行った。
そして会見中、勅使河原氏は教会改革の方向性について説明するいっぽうで、冒頭のようにメディアの報道方法について苦言を呈す場面も。
そんな勅使河原氏に対して、ネットでは《今統一教会で記者会見してる幹部、90年代初頭に一世を風靡したテッシーじゃん?》《勅使河原ってあのテッシーか》《勅使河原秀行氏って!テッシーよね???》との声が。実は勅使河原氏は、かつてテッシーという愛称で“時の人”となった人物なのだ。
勅使河原氏が注目を集めたのは、今から30年前のこと。’92年8月、統一教会の主催する合同結婚式で、新体操選手としてオリンピックへの出場経験もある山崎浩子(62)と結ばれたことがきっかけだった。
「山崎さんは’89年、友人を通じて自己啓発の集まりに通っていました。ところが、統一教会の集まりだったと後から気づくことに。しかし、その頃には教団の教えにのめりこんでいたため、入会を決意。入会すると、今度は『脱会すると先祖から恨まれる。悲惨な末路を辿ることになる』などと教え込まれたといいます。

そして’92年8月の合同結婚式に参加し、勅使河原氏と結婚することに。勅使河原氏は京都大学出身で、当時大手証券会社に勤めていたエリート。誠実そうな雰囲気もあって、テッシーという愛称が定着することとなりました」(全国紙記者)
合同結婚式を終えた2人は、’93年3月に入籍することになっていた。ところが――。
「入籍の直前、山崎さんが1人になる時間を狙って実姉が彼女を説得。さらに牧師も説得に加わったところ、山崎さんは『統一教会を辞めたい。でも、辞めたら殺されてしまう』と号泣したといいます。しかし脱会する方針を固めたため、家族が山崎さんを連れ出したところ、勅使河原さんは捜索願を出すことに。
勅使河原さんと距離を置いてからも、山崎さんの心はまだ揺れ動いたといいます。ところが勅使河原さんはテレビで、山崎さんがかつて彼に送ったというラブレターを公開したんです。そのことに山崎さんはショックを受け、結婚指輪をその場で捨てたそうです」(山崎の知人)
そして’93年4月、山崎は統一教会を脱会した。しかし、彼女を再び入会させようと勅使河原氏は動いたという。
「勅使河原さんはどうしても山崎さんを諦めることができなかったそうで、何度も対面を求めました。’94年3月、山崎さんは統一教会脱会までの日々をつづった手記を出版しました。その会見で脱会後も勅使河原さんと何度か会ったと明かしつつ、『彼とは話し合っても、何も通じることはなかった』と回想していました」(前出・山崎の知人)
それでも、勅使河原氏は“元妻”を思い続けたようだ。芸能ライターは言う。
「勅使河原さんは『彼女が1人で冷静に考えられるようになったとき、直接会って話し合いたい。そのためには何年も待つ』といい、結婚指輪も捨てずにずっとつけていました。また、『一緒になることが僕と彼女にとって一番の幸せ。今の彼女は、全然幸せに見えない』とも。’95年8月の合同結婚式で勅使河原さんは“再婚”しましたが、その直前まで彼は山崎さんへの思いを募らせていたそうです」

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