「自分の生きた証し」私財4500万円、沖縄の子へ遺贈 福岡から移住後がん発覚

沖縄の子どもたちのために私財を生かしてほしい-。そう言い残し、1人の女性が2月、61歳で亡くなった。出身地の福岡県から沖縄県に移住して間もなく、がんが発覚し多額の遺贈を希望。生前を知る人たちは「その潔さや志が彼女らしい」とうなずいた。思いを継ぎ、沖縄県内の3団体に総額4500万円が寄付され、22日に贈呈式があった。(デジタル編集部・新垣綾子)
昨年3月、福岡県中間市役所を定年退職した橋本京子さんは翌月に沖縄で暮らし始めた。
市役所の後輩だった原舞さん(38)によると、たびたび訪れていた沖縄を気に入り、退職後の移住を決意。「子どもの貧困の割合が高く、手助けが必要な子どもたちがたくさんいる」とも語っていた。既に両親が他界し、他の親族とは疎遠。「私は根無し草だから」が口癖だった。
橋本さんは市介護保険課で、原さんの教育係だった。社会福祉士の資格を持ち長年、生活困窮者や高齢者の自立支援や介護予防などに尽力。「お役所仕事で線を引かず、わがこと丸ごとでサポートしよう」などと呼びかけ、子どもから高齢者まで、時には休日返上で地域住民に寄り添った。
家に風呂がない90代男性を自宅に招き、入浴させることもあったという。原さんは言う。「全てを温かく包み込んでくれる人。孤独な自身の境遇が、他人に尽くす原動力になっていたと思う」
浦添市内にマンションを購入して約半年後の昨年12月、最も進行したステージ4の子宮がんが見つかった。沖縄で謳(おう)歌(か)する第二の人生を楽しみにしていたはずだが「とても冷静に自身の余命を受け入れ、身の回りの整理を始めた」と振り返るのは、生活支援や死後事務などを担う「えにしの会」沖縄事業所の川嶋成美相談員だ。
橋本さんは病の告知を受ける前に会へ連絡し、契約を結んでいた。川嶋さんや遺言執行者の古賀尚子弁護士に「経済的な理由で夢を諦めざるを得ない子どもたちのために財産を使ってほしい。それが自分の生きた証しになる」と迷いなく言い切り、自ら調べた沖縄こども未来プロジェクトなどの名を挙げた。
息を引き取ったのは、62歳の誕生日前日の今年2月13日。川嶋さんと古賀さんは「友人への手紙を含め自分の意思をしっかり託して亡くなられた。最後まで芯のある、聡明(そうめい)ですてきな女性だった」と悼んだ。
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