お笑いのスターダムを歩き始めた矢先の「捨てきれない夢」 与座よしあき、芸歴26年目の揺るぎない芯

沖縄市出身のお笑い芸人・俳優の与座よしあき(45)が芸歴26年目を迎え、円熟味を増している。テレビ東京系列で放映された伊豆大島が舞台の深夜ドラマ「東京放置食堂」ではメインキャストの1人、地元のタクシードライバー役を熱演した。柔和でおおらかな笑顔。「芝居でもコメディー担当なので、特に役者と芸人を分けて考えていない」とあくまでも自然体だが、物づくりへの姿勢には揺るぎない芯があった。(小笠原大介・東京通信員)
■すぐプロでやりなさい
幼少期に見たカンフー映画でジャッキー・チェンに憧れを抱き「将来はスタントマンか映画カメラマン」と元々は裏方志望だった。ところが高校卒業後に入学した日本映画学校(現・日本映画大学)で非凡な才能が花開いた。
漫才の授業で同級生の檜山豊と共にネタを作り、担当講師の故・内海好江さんを前に緊張しながら披露すると、大ウケ。「あんたたちすぐプロでやりなさい」と激賞され、お笑いコンビ「ホーム・チーム」を結成。マセキ芸能社入りが決まった。
「裏方とは真逆の表舞台。不安もあったが頃合いを見て映画業界に進む腹積もりだった」と明かすが、ネタ作りは楽しく、人々が笑顔になることが何より好きだった。
■事務所に退所を申し出
腕試しで出た若手の登竜門的お笑いライブで優勝。3年目にはフジテレビの人気コント番組「笑う犬の冒険」(2001年)でレギュラー出演を果たすなど、お笑いのスターダムを歩み始めた。

しかし22歳のころ「それでも映画の夢は捨てきれない」と事務所に退所を申し出る。決意は固かったが、やりとりの後、チーフマネジャーがこう返した。「最前線の現場に若くしていられるのは貴重な事。お前は表に出る人間だ」。
「そこまで言ってくれるのなら」と気持ちを新たにし、そこからは現場の観察の仕方が変わった。1人で手掛けるコンビのコントネタでも設定を細かく作り、その人物になり切って演じるうちにドラマの仕事が増えていった。
■転機となった本広映画
「役者として大きな転機となった」と語るのは「踊る大捜査線」シリーズを手掛けた本広克行監督による映画「サマータイムマシン・ブルース」(05年)への出演だった。
本広監督が「自分が一緒にやりたい人だけを集めた」という青春SFコメディーで瑛太、上野樹里、真木よう子、ムロツヨシらと共演した。互いに意見を出し合い「監督主導ではなく、みんなで創り上げることで良い作品はできる」と表現者としての信念を手にした。
10年に「ホーム・チーム」のコンビを解散し、ピン芸人として活動を開始。テレビや映画で活躍する一方で、11年には結婚するなど公私ともに充実した。
■一時は生死をさまよう
40代に差し掛かり、次の目標を考え始めた時だった。20年4月に新型コロナウイルスに感染。重症化寸前まで悪化し、一時は生死をさまよった。約1カ月の入院生活を経て生還したものの、今度は仕事がなくなった。

「生かしてもらった命。今度は自分が誰かの役に立ちたい」と編み出したのは「とにかく何でも一緒に考える」というSNSを通した時間制の相談役だった。自殺を考えていたという女性から「最期に大好きな与座さんに会いたい」と打ち明けられたこともある。あえて深刻にならず雑談を貫き「もう心残りないですね」と笑い飛ばした。
2週間後、その女性から「前向きになって、今は介護の仕事に就いています」との連絡があった。芸能の仕事が戻った現在でも、空き時間を利用して相談を受けている。
■お笑いと役者の両輪で
若手漫才師日本一を決めるM-1グランプリ3回戦では同事務所の県出身コンビ「しゃもじ」と組んだ特別ユニット「人人(ちゅちゅ)」で出場し、準々決勝進出127組(参加6017組)に残るなど、お笑いと役者の両輪で表現の場を突き詰めていく。
「沖縄あってこその与座よしあき。これまでも、これからも変わることはないです。また沖縄でライブがしたいなぁ」。笑顔が一層輝いた。
よざ・よしあき=本名、與座嘉秋 1976年沖縄市園田生まれ。マセキ芸能社所属。時間制相談室「とにかく何でも一緒に考える」はTwitter@yozazaで依頼受付中。

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